工場者の手記/すべてがパンになる

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

  私がうすうすと目を醒ました時、こうした蜜蜂の唸るような音は、まだ、その弾力の深い余韻を、私の耳の穴の中にハッキリと引き残していた。*

その余韻が霞み始めると同時に、辺りはガチャガチャと騒々しくなりだした。いや、どうやら始めから音はしていたらしい。しかし際限なく続く音の波は耳を通り越し、脳の狭間に埋もれていたらしい。

ガッシャン バシッ カララン ガラララ 
ガッシャン バシッ カララン ガラララ
ガッシャン バシッ カララン ガラララ 

私はいまいち自分の置かれた状況を理解しないまま、薄ぼんやりとした頭で、今が真夜中であることを理解していた。辺りは明るいが、電灯による光は遠のいた意識をなかなか戻さないでいる。

  ガッシャン バシッ カララン ガラララ 
ガッシャン バシッ カララン ガラララ
ガッシャン バシッ カララン ガラララ 

ピーロー ピーロー ピーロー ピーロー

急にそれまでとは違う音が鳴り響き、私はハッと、意識が自分に戻るのを感じた。

プルルルルルルルル

また別の音が、けたたましく鳴り響く。

ガッシャン バシッ カララン ガラララ 
ガッシャン バシッ カララン ガラララ
ガッシャン バシッ カララン ガラララ

   すぐさま先ほどまでのけたたましい機械音が鳴り響き、私は自分の手に握られた物をすぐさま指先から放り出した。

それは三つのパンであった。指先から放り出された三つのパンは、その先にあるカップの中へと吸い込まれるようにして カラッ と小さな音を立てて収まった。そして逆の手で、私はもう既に、また三つのパンを取り出していた。そしてパンを移し、また指先から放り出す。

二秒ほどの間隔で、次々とパンを取り出し、放り出す。右手にはパンが山積みになっている。右手でパンを選定し、左手で放り出す。右手でパンを選定し、左手で放り出す。右手でパンを選定し、左手で放り出す……私の手はまるで機械のように動き、機械音のリズムに合わせて機構の一部となっていた。

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

カラカラカラカラカラカラカラ…………。

先ほど私の耳に残っていた、低い唸る音が聞こえた。そして今度は、カラカラと乾いた何かが転がる音が聞こえた。それはやはり、パンであった。

右手に積まれた山の上に、カラカラと音を立ててパンが落ちて行く。幾つかは割れていたり、小さかったりする。しかしパンはパンであった。

無意識に動き続ける体を投げやったまま「わたしは一体何を…」と私は小声で口にしていた。そして、口の周りにある違和感に気付いた。

マスクだ、私はマスクを着用している。そして頭を白い布で包んで、帽子を被っている…。自分の手にはグローブが付けられ、それはパンのもつ油で鈍く、薄く光っている…。クリーム色の長袖の端はゴムで強めに縛られ、足には黒く重たい安全靴を履いている…。

私は、工場労働者であった。

ここは…食品工場、食品工場だ…。そして私はスープを作っている…。カップの中には粉末と、幾つかの小さな具材が入っているのが見えた。そして私は、やはり延々とパンを放り込んでいる。

ガッシャン バシッ カララン ガラララ 
ガッシャン バシッ カララン ガラララ
ガッシャン バシッ カララン ガラララ

いったい何時間、ここでこうしていたのだろうか。私は不意にそう考えたが、すぐに時間のことは忘れてしまった。今はただ目の前にカップが流れていて、パンが山積みになっているだけなのだ。そう、それ以外には何も存在しなかったのだ。

ガッシャン バシッ カララン ガラララ 
ガッシャン バシッ カララン ガラララ
ガッシャン バシッ カララン ガラララ

ただ黙々と手を動かし、音を聞いていると、不意に声が聞こえた。正確には、聞こえた気がした。

遠くの方から、小さな声で繰り返す声が聞こえる…。なんだ…?なにを言っている…?

ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…

ワンツー?英語でいち、に、と言っているのか…?

ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…

やはりそうだ、そうだと思えばますますそうだと聞こえる。これは確かにワン・ツーと言っている。きっとそうに違いない。少し掠れたような、波の荒い声で繰り返す一と二は、機械の流れに合わせて延々と繰り返していた。

それに合わせて私の手も絶え間なき動き、私は声と機械音との狭間に呑み込まれていく。

ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

何だ今のは!私はハッとして思わず辺りを見渡した。しかし何も変化はない。ただひたすらにカップは流れ、パンは積まれる。少しだけ体の動きがずれ、パンを掴みそこねてしまった。私は慌てて別の、形の良いパンを選んで掴み、急ぎ流れ去ろうとするカップの中へ放り込んだ。そして少しペースを上げて、また元のリズムへと戻った。

今の声は何だったのだ…?私は不可思議に思いながらも、また黙々と手を動かし、リズムに身を任せる。

ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

まただ。

ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

まだ聞こえている。

ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

遂に一定のリズムに合わせて、それはハッキリと「頑張ります」を口にしていた。しかも元気な口調である。掠れたような音のワン・ツーとは異なり、大きな声で小さな女の子が示すようにして「頑張りまーす!」と言っていた。しかしその声はまるでファミコンの音源である。ドラえもんか何かのゲーム辺りで実際に使われていたとしてもおかしくはない。女の子の声で、8bitはただひたすらにその努力を叫んでいた。2コンはどこだ!2コンのマイクに向かって叫べば、私は無敵になるのに…目の前のパンとカップを一網打尽に出来るのに…!

ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

どうやら2コンは存在しないようだった。私はただひたすらに、文字通り手作業でこのパンと格闘しなくてはならないのだ。パンめ…あゝ…パンが憎い…!

何を考えようとも、目の前のカップは流れ続け、パンは積まれていく。

ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

それにしてもこのワン・ツーの声、どこかで聞き覚えがある。私にはこんな人間離れした発声をする友人は居ないはずだが、確かにどこかで…。

ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

……!

私はカッと目を見開いた。まさか…まさかこの声は……チュンリー…!ストIIのチュンリーの声がする…!

ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

やはりそうだ、そうだと思えばますますそうだと聞こえる。確かに私の耳からはチュンリーの「ワン・ツー!」が掛け声となり聞こえ出した。そして私の脳は自動的に「ラァウンド・ワァン・ファイッ!」を再生して、脳内ではワンツーを唱え続けるチュンリーとそれに向かって頭突きを繰り出すエドモンド本田の姿が思い描かれた。

ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

しかし目を開けばパンである。何もかもが変わらずにパンであり、そこにはパンしかなく、何もかもがパンであり、私もまたパンとなっていた。パンが…パンが…パンが降ってくる…パンに掴まれる…パンに投げられる…カップの中へと入る私…!

「ハッ!な、なにィィィィィ!そんな…投げていたのは…私のはず…しかし…いつの間にか!投げられていたのは私の方だった…!!」*

ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

いつしかパンとなり投げられた私は、それでもやはりパンを投げていた。そうだ、私は私だ、しかし私はパンだ。もうダメだ…(脳が)もうダメだ…(精神が)もうパンだ…(何もかもが)

パンはパンを投げながら、チュンリーと8bitの女の子の声を聞き続けていた。その声はガチャガチャと鳴り響く機械音と共にリズムを取り、ビートを刻んでいた。私(またはパン)はそのマスクに隠された口元で小さく「インダストリアルテクノ…」と呟いた。

ゆらゆら揺れる頭と、あくせく働く手元はダンスである。8bitと16bitの声に挟まれた、ステンレスとパンのニオイが漂うダンスミュージックである。そこに蠢く前後六人の大人たちは、この深夜の工場内で終わらない夜を踊り明かそうとしていた。

ガッシャン バシッ カララン ガラララ 
ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース! 

ガッシャン バシッ カララン ガラララ
ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース! 

ガッシャン バシッ カララン ガラララ
ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!ヮンッツー…ヮンッツー…ガンバリマース!

果てしないパンは続いていた。もう頭の中に廻る考えは融け始め、まるで焼く前のパンのようにこねられていた。当然こねているのは猫だった。そしてその猫もすぐにパンになった。パンが猫をこねる…パンが私をこねる…パンがパンをこねる…あゝ…溶けていく…溶けていく…溶ける…解ける…融ける…落ちていく………

ピーロー ピーロー ピーロー ピーロー

ガコッ と音を立てて、すべての機械音が止まった。そう、止まったのだ。カップが止まり、音が止み、人々が停止した。

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

カラカラカラカラカラカラカラ…………。

パンだけは止まらず、また頭上から降り注いで山積みになっていた。しかし手元のパンは止まっている。私はパンから解放され、また一度人間へと戻った心持ちがした。

ガックリとうなだれるようにして、その場に少ししゃがみ込む。立ち続けていたせいで足は疲弊し、血が留まっているのを感じる。何度か足を圧迫してやり、血流を少しでも上へ運ぼうと私は動いていた。

床にはパンが散乱している。幾つかは砕かれ、幾つかはまだ形を維持していた。選定の際に弾かれ、床に落ちたパンだ。私はそのパンの内の一つを安全靴で踏みつけ、パキパキと潰れ行く心地良い感触を楽しんだ。それは秋の日に、道路に落ちた枯葉を踏むような軽い心地よさではない。パンに追われ、パンに蝕まれた精神が辛うじて味わう、惨めな心地よさである。

パキパキメキメキ

パキパキボリボリ

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

カラカラカラカラカラカラカラ…………。

プルルルルルルルル……………… *

***

* ドグラ・マグラまた読もうかな。
* うどん猫
* 本日最終日
@3 months ago